誰が世界を変えるのか ソーシャルイノベーションはここから始まる フランシス ウェスリー (著), ブレンダ ツィンマーマン (著), マイケル クイン パットン (著), エリック ヤング (著) #73
admin デュポン・カナダのソーシャルイノベーション・シンクタンクのフランシス・ウェストリー、ヨーク大学シューリック・ビジネススクール教授のブレンダ・ツィンマーマン、フリーの組織開発コンサルタントのマイケル・パットンらが、ソーシャルイノベーション―劇的な社会変革について、犯罪を激滅させた“ボストンの奇跡”、HIV/AIDSとの草の根の闘い、いじめを防ぐ共感教育プログラム、失業・貧困対策、野生動物保護、障害者支援などを事例として、挙げながら分析したのが本書。
内容をわかりやすく伝えるための事例は、「ライブエイド」と呼ばれるイベントだ。
アイルランド出身のロックバンド「ブームタウン・ラッツ」のボーカリスト、ボブ・ゲルドフは、エチオピアの飢餓救済のために6000万ポンド以上のお金を調達した。
彼はイギリス・ロック界のスターたちを集めて、「バンドエイド」を結成し、まずリリースしたシングルを大ヒットさせた。
そして、大西洋をまたいでイギリスとアメリカ両国での演奏を17時間にわたって生中継するという空前の規模のチャリティコンサート、「ライブエイド」を企画したのだ。
社会を動かしていくことは、非常に難しい。
なぜなら、社会を構成する「個人」一人一人の考え、行動はコントロールできないからだ。
にもかかわらず、社会変革という大きなダイナミズムが起き得るのは、なぜか。
そのことについて、いくつものケースをとりあげながら、世界を変える新たな方法について示唆してくれるのが本書。
僕が、本書で最も印象的だったのは、「第6章 冷たい天国」。
「冷たい天国」という表現自体が非常にセンスのある表現だと思う。
この「冷たい天国」とは、ソーシャルイノベーションにとって、これで十分だという到達点、満足できる点が、存在しないことで起きる状況のことだ。
ソーシャルイノベーションの努力が失敗に終わると、大半の人は答えのない堂々めぐりの疑問に悩まされる。
もっと睡眠時間を削ってがんばっていたら、もっと声を大にしていれば、思い切ってやっていれば?もし?もし?もし?
こうして、たくさんの関係者や力を巻きこんでいる活動のはずなのに、その失敗は一個人の失敗になる。
スティーブン・スピルバーグ監督の映画『シンドラーのリスト』の結末に胸を打たれるシーンがある。
シンドラーに命を救われたユダヤ人労働者たちが集まって、解放軍を逃れて出奔しようとしている彼に礼を言うシーンだ。
ユダヤ人一同の感謝を喜んで受けるどころか、シンドラーは動揺し、涙を流しながら、友人に向かってこうささやく。
「この車。なぜ私は車を売らなかったのだろう?
売っていたら、あと10人は救えた。
あと10人・・・
もっとたくさん救えたのに」
目標設定のメリットは、「どこまで行けば、目標を到達することができる」ということが明らかなことだ。
一方で、本当に価値のあるものは、目標や基準が明確でない場合が多い。
たとえば、愛する人と過ごす時間や、子供と遊ぶ時間、友人との会話などは、合理的・具体的に設定することのできる目標は少ない。
この最たる例が、社会変革である。
どこまで行けば、よりよい社会なのか?
どこまですれば、すべての人が幸福である社会なのか?
どこまでするには、どうすればいいのか?
現状で足りない部分は、何なのか?
それは、終わりのないプロセスであり、到達点はないに等しい。
行き着くことのできる先は、天国なのかもしれないが、同時にそこは冷たい場所であるのだろう。
そして、このことは、社会変革だけではない。
人の人生やビジネスも同様だ。
人生も、ビジネスも、十分だと思える点は、なかなか見当たらない。
人は、もっと大きく、もっと良く、もっと満足を求める。
行き着く先は、どこなのだろうか。
僕は、日本という先進国にいて、厚い社会福祉と保護、社会的な豊かさ、高度な社会資本を享受することができている。
世界の別の場所では、同じときに、飢餓に苦しみ、虐殺される人たちもいるのに。
そうだ。
僕らは、すでに冷たい天国の住人なんだ。
でも、たとえ、冷たい天国から逃れられないとしても、もっとよくしたいという気持ちを失ってはならないのだ。
関連する投稿
Posted in 社会変革 |
1 Comment »| タグ: 時代, 社会変革




2月 12th, 2009 at 11:47
先進国にいて、冷たいかも知れないですが天国にいる我々は地獄にいる人の分までしっかり生きなければならない、と思います。
ただ、全ての人が幸せの基準はたくさんあって、全ての人が平等になるはずだった共産主義は自ら崩壊してしまったわけです。
私は欲にまみれようと、聖人のように生きようと、人間らしく生きる世の中―それは混沌としたものになるかも知れませんが-が理想です。
失礼しました。