人生の短さについて セネカ (著) #102
blogown セネカは、二千年前の古代ローマ帝国を生きた思想家。哲学者にして、詩人・劇作家、政治家。
雑事をしているだけで、あっという間に時間は過ぎ去ってしまう。そのため、私たちは、毎日忙しい日々を過ごしています。
読まなければならない資料や本、雑誌。返信しなければならないメール、手紙。決断しなければならない事項の山。ある場所から、ある場所へと飛び回る移動。
私たちは日々、何かに追われるかのように時間をすごし、あっという間に過ぎ去っていく時間を振り返る時間すら、ほとんど残されていません。
そんな私たちに対して話しているかのように、二千年前に生きた思想家、セネカは「人生の短さ」について、このように話してくれています。
人生は短くなどありません。
与えられた時間の大半を、私たちが無駄遣いしているにすぎないのです。
人生は十分に長い。
上手に使いさえすれば、偉業を成し遂げられるほどたっぷりと与えられているのです。
人間はそれを、何の役にも立てず湯水のごとく浪費した挙句、土壇場になってようやく気づくのです。
いつのまにか人生は過ぎ去ってしまった、と。
つまり、人は短い人生を与えられるのではなく、むしろ自分で短くしている。足りないのではなく、浪費しているというわけです。
価値ある情報が何も得られないようなテレビ番組や雑誌、ウワサ話、安易な娯楽、事務作業。そのような価値のないことに時間を浪費してしまうことこそが、自分自身の人生を短くしている原因であるというわけです。
では、なぜ、私たちは時間を無駄遣い、浪費してしまうのでしょうか?
時間が貴重なものであると、本当にわかっているのであれば、浪費することもないでしょう。
その理由についても、セネカは語っています。
人は、自分が永遠に生き続けるものと思っているからなのです。
自分の弱さなど少しも念頭になく、どれだけの時間が失われたかにも気づかない。
涸れることのない泉か何かのように時間を無駄遣いしている。
そうやって他人やものごとのために使っている今日という一日が、最後の一日かもしれないというのに。
死を免れない者として何もかもを恐れながら、そのくせ不死の存在であるかのように、何もかもを手に入れたいと望むのです。
つまりは、自分の死について、人生の有限さについて、自覚できないということが理由なのです。
自分の人生に、まさか終わりが来るなどとは思ってもいませんし、今の日々がずっと続くものと思っているものなのです。
私自身を含めて、いくばくかの人たちが、自分の生き方や自分の振る舞いを振り返り、違う人生を生きるようになる原因のひとつは、「死に直面すること」であることが多々あります。
たとえば、それは父親といった肉親の死であったり、近しい友人の死であったり、はたまた自分自身が大病を患い、死を意識したというようなかたちで、訪れます。
しかし、たいていの人にとっては、死は自分の人生からは、ほど遠い存在、普段はまったく意識することのない存在であることから、人は人生が永遠に続くものと思ってしまうのです。
これまで話してきたように、人生には限りがある一方で、私たちは無駄遣いをしてしまっていて、自らの人生をより短いものにしてしまっているのです。
それでは、人生を最大限に活用し、何かを成し遂げるためには何をすべきなのでしょうか?
それは、「自分の人生において、価値のあることに時間を配分する」ということです。
人の時間は有限で、どんなにお金持ちでも、1年は365日で1日は24時間しかありません。
しかし、一方で、何かをなすには時間と労力が必ず必要になってきます。
つまり、人は自身の限られた資源をいかに配分すべきか、という判断を慎重にしなければならないというわけです。
なぜなら、無価値なものに時間を配分してしまうと、それは、価値あることに配分できたはずの時間を失ってしまうことと同義だからです。
また、このことは、同じ年齢でも、成果をあげた人とあげていない人の違いを生み出している要因のひとつでもあります。
セネカはこう語っています。
相手の白髪やしわを見ただけで、長く生きてきた人間と思うのはおやめなさい。
長く生きてきたのではなく、長く存在してきただけかもしれないのです。
それはまるで、港を出た直後にひどい嵐に遭った男を見て、長旅を経てきた人間と思い込むようなものです。
実際には、四方八方から強風に煽られてあちらへ吹き飛ばされたかと思えば、こちらに吹き戻され、同じ海域をぐるぐる巡っていたにすぎません。
そんなものは、長く翻弄されたのであって、長く旅してきたことにはならないのです。
何かを成し遂げたいと望むのであれば、長く存在してきただけであるような人間であるべきではありません。
そうならないためには、自分の人生において、価値あることに時間という資源を配分すべきなのです。
もし、あなたが世界における極度の貧困をなくしたいと望むのであれば、ぼんやりとテレビを見ていてはいけないのです。
その望みに、一歩でも前進することのできるような活動に時間を配分すべきなのです。
たとえば、関連した書籍を読んだり、最前線で動いている人に話を聞きにいったり、実際の現場を見に行ったり、実際に自分自身でできる行動をしたりといったことです。
果たして、人生は短いのか、長いのか。
セネカの言うことがすべてではありません。
しかし、自分の人生において、その時間はできるだけ、価値のあることに配分したいものです。
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