
ベストセラー「下流社会」の著者でマーケティング・アナリストの著者、三浦展氏が、若者(男性)世代では「容姿」が格差意識の原因となりつつあること、「プレゼン力」「人間力」重視の果てにある「容姿決定社会」の実態について書いたのが本書。
ベストセラー『「婚活」時代』と系統の近い、恋愛結婚市場論についての書籍。
自分自身がロストジェネレーション世代であることから、この現代の恋愛結婚市場論については非常に興味があり、色々と調べているところ。本書も、非常に興味深いことが書かれており、参考になる。
最近の女性側のニーズは、より高い方向へと向かっているらしい・・・。
かつて「三高」という言葉があった。女性が結婚相手の男性に求めるものとして、身長、学歴、年収の三つが高いことが条件だという意味である。しかし最近は「三低」という条件もあるそうだ。
これは「低姿勢・低依存・低リスク」を意味する。ウィキペディアなどによれば、「低姿勢」は女性に対して威張らない、「低依存」は家事や身の回りのことを妻に頼らない、「低リスク」はリストラや事故・事件等に巻き込まれることの少ない職業に就いていることである。
これらは、現代女性の社会進出にともない、女性自身である程度の生計を立てることが可能になったことに加え、自己主張が可能になったことから導かれるものと思われる。
つまり、選択できる立場になっているのであるから、安易な妥協は避けようとするわけだ。安易な妥協を避け、自分より高スペックな男性、つまり、上方婚を求めるようになるというわけだ。この種の議論は、『「婚活」時代』にもよく述べられている。
その一方で、女性と男性の間には、文化的な側面において、同様のシフトが行われないという現実があるのだという。
女性は男性よりも経済力と文化力が比例しやすいと言われる。具体的に言うと、自分や夫や親の所得や学歴が高いと、女性の趣味はクラシックのコンサート、歌舞伎鑑賞、茶道、華道、ピアノ、バレエ、ワインなど正統的なものが増える。男性もそういう傾向はあるが、女性よりはずっと弱い。
女性が社会進出し、年収や学歴などの階層が高い女性が増えれば、女性は自分より階層が低い男性とは趣味が合わなくなるし、階層が同じ男性とすら合わなくなるだろう。女性よりも男性のほうが階層がずっと上でないと趣味が合わないということになりやすい。しかしそういう男性の数は限られている。それが未婚化が止まらない理由のひとつであろう。
これは現代の恋愛結婚市場論における重要な問題である、相互のスペックにおけるギャップである。
女性は自分と相性のいい、端的に言えば、趣味の合う、自分に釣り合うようなスペック(はっきり言えば、身長、学歴、年収だろうが)を持った男性を求める。そして、それは最低でも自分と同じか、それ以上のスペックである必要がある。
上記の引用を以て言えば、女性の階層上昇にともなう文化力の向上は、男性では行われないことから、自然と要求されるスペックを満たす男性の絶対数が限られるという帰結になる。ここまでは、単純であろう。
ここまでの議論を端的に言えば、「スペックの高い女性のハイエンド化(つまり、自身のスペックのハイエンド(上層)化であり、嗜好のハイエンド(高級)化であり、要求のハイエンド化である)は、要求を満たす男性の母集団を制限してしまう」という意味である。
しかし、その一方で、スペックの高い女性のハイエンド化は、往々にして、その女性の商品価値を高めるということには結びつかないということが状況を悪化させていると見られる。
これらの状況をせんじつめて言えば、「デキる女性だからといってモテるわけではない」、より深くえぐって言うと、「デキる女性であればあるほど、男は引いてしまう」という現代事情があるのだ。
また、スペックの高い女性は、そのスペックの向上そのものに膨大なリソースを傾けているという背景がある。それは、スペックを上昇(年収アップ、スキルアップ)させるためには、それなりにすべきことがあるからである。
ここで言うリソースは、お金であり、エネルギーであり、時間である。総じて、時間のファクターは婚活市場においては、極めて重要なインパクトを持っている。
要点は2つ。
1.スペック向上に傾けた時間は、同時に、婚活に要する時間の喪失を意味する
2.時間の経過は、(非情ではあるが)女性の商品価値が劣化していくことを意味する
1.スペック向上に傾けた時間は、同時に、婚活に要する時間の喪失を意味する
結婚するには、時間が必要だ。
それは、少し考えれば、わかるだろう。結婚するまでに、お互いを知るための時間が必要になる。それは、一週間では不十分だとはわかる。
つまり、二人が出会い、付き合い、結婚するという一連のプロセスにおいて、「結婚とそれに伴う準備期間でさえ、時間が必要」なのである。
人生は有限である。何かに時間を費やせば、それ以外のことに同時に時間を費やすことはできなくなる。つまり、人生はトレードオフの連続であるというわけだが、それは婚活においては非常に大きな意味を持つのだ。
短く言えば、仕事を頑張ったり、スキルアップに励めば、それに費やした時間だけ、婚活にかける時間が減ってしまうということなのだ。
2.時間の経過は、(非情ではあるが)女性の商品価値が劣化していくことを意味する
花の命は短い。
大変、非情な表現ではあるし、個人的な意見は別としても、世の男性の価値観は、女性の年齢を重視してしまうと見ることができる。
端的に述べていくと、女性がスペック向上に励み、より高スペックになればなるほど、時間が経ってしまい、自分自身の商品価値が劣化していくことになるのである。悲しいことではあるが、否定できない現実であることは、周りを見渡せばわかる。
これらのことは、つまりは、高スペックな女性が未婚化・晩婚化してしまう要因と言えよう。
ここまで、相互のスペックにおけるギャップについて、女性の側面から見てきたが、男性の側面から見ても面白いことがわかる。
これまで述べてきたように、高スペックな女性は自分の要求を満たすことのできる超高スペックな男性を求めているのであるが、第一に要求を満たす男性の母集団はスペックにより制限され、そもそもの人数が少ないということがある。
加えて、それらの超高スペック男性は、スペックの高さゆえ、非常に多忙である。そのため、通常の出会いがないことが多い。
そして、さらには、超高スペック男性は、そのスペックの高さゆえ、高スペック女性と同様に、要求が高いのだ(笑)。しかも、ここでの男性の要求は、女性にとっては都合の悪いことに、「女性自身が思うスペックの高さではない」のである。端的に言えば、超高スペックの男性が女性自身の思う高スペックの女性、つまりは、「自立した女性」を好むのかというと、そうではないのだ。
超高スペック男性は、すでに高収入を得ているのだから、女性に稼いでもらう必要もない。そのため、専業主婦になってもらいたかったり、おしとやかで自分をサポートしてくれるような女性を求めているのである。加えて言えば、男性目線でのスペックの高さは、年齢の若さであったりする場合も多々あるのである。
このため、「自立した女性、高スペック女性」は、二重の意味での制約を受ける。つまり、1.自分より高スペックな男性は少なく、2.条件を満たす超高スペック男性は自分を選んでくれる可能性が低めである、ということである。
このように、私的な観察から得られた知見を踏まえた上での結論として、現代の恋愛結婚市場には、相互のスペックにおけるギャップが存在するわけである。
『「婚活」時代』では、「婚活(結婚活動)をせよ」と主張されている。
誰しもが理想的な結婚、つまりは理想婚を望んでいることだろう。しかし、現代事情は、妥協婚せざるを得ない状況の人々を生み出してもいる。これこそが、現代恋愛結婚市場の自由市場化のもたらした結果であろう。
現在、経済も、市場主義経済体制の影響で、不況を呈している。
その一方で、結婚市場でも、市場主義の影響があらわれているようである。