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	<title>1,000冊読書感想文を書くとどうなるか？ &#187; その他</title>
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	<description>つれづれなるままに。読んだ本の記録を残すために。</description>
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		<title>シンプルに生きる　ドミニック ローホー (著) #152</title>
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		<pubDate>Fri, 20 Aug 2010 22:23:37 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[シンプルに生きる　ドミニック ローホー (著) #152

ものを持たない暮らしがテーマのこの本。
この本には、「これはスゴイテクニック」とか「これはスゴイコンセプトだー」とか言うのはない。
けれど、何がいいかというと、それは、ものを持たない暮らしについて、再認識させてくれるからだ。
タイトルにもあるように、シンプルに生きる。
整理整頓がなかなか思うようにいかない自分にとっては、受け入れるべきメッセージだった。
資本主義経済体制下に生きているだけあって、企業の宣伝広告にのせられて、ものを過剰に所有しがちだ。
過剰消費、過剰摂取。
「物質的な豊かさ＝富」だという先入観に染められている以上、どうしてもそうなってしまう。
でも、本当は、もっとシンプルにして、本当に必要なものだけを残して、あとはなくしてしまう、手に入れないという選択が良いのだと思う。
そして、本当は過剰であることには弊害がつきまとうということも理解しておくべきだろう。
たとえば、過剰な書類の山があったとすれば、探す時間がかかる。
過剰なものがあれば、スペースもなくなる。
そして、過剰なものに使ったお金は実際には不要なはずで、ムダ遣いだったということになる。
とりあえず、身の回りにあるものから捨てていって、できるかぎりシンプルなかたちにしていこうと思う。
そう思わせられた一冊。
表紙のデザインもシンプルで上品。
シンプルに生きる　ドミニック ローホー (著) #152
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		<title>結婚戦略―家族と階級の再生産 ピエール・ブルデュー (著) #90</title>
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		<pubDate>Tue, 28 Apr 2009 01:21:51 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[
著書『ディスタンクシオン』で有名なフランスの社会学者である著者、ピエール・ブルデューが、1950年代に独身者数の増大に悩む生まれ故郷ベアルン（フランス農村）での、結婚市場をめぐる調査から、婚姻交換システムの変容とそれがもたらした結果について述べたのが本書。
もちろん、僕は戦前生まれではないので、だいぶ昔の結婚事情については知らない。しかし、漠然としてではあるが、日本史の勉強を通して、また、世間での常識を通して、認識してはいる。
それは、家同士のつながりで、長男が家督相続して、お見合いがほとんどであった、というような具合である。本書の著者（そして、僕が敬愛する）ピエール・ブルデューは、冒頭部において、そのことについて、端的に説明してくれている。
1914年以前には、婚姻は非常に厳格な規則により規制されていた。婚姻が家族的農業経営の将来全体を左右していたために、また婚姻が非常に重大な経済的交渉の機会でもあったために、さらにそれが社会的なヒエラルキーや、このヒエラルキーにおける家族の地位を再確認させることになったために、婚姻とは、個人というよりも集団の関心事なのであった。結婚するのは家族であったし、人は家族と結婚したのである。
婚姻は、家産の一体性を損なうことなく家系の継続性を保証することを第一次的機能としている。
結婚はかつて、一個人の問題ではなく、家族、ひいては一族という社会集団における問題であったことがわかる。
現代では、それらの価値観が比較的薄くはなってきているのでわかりづらいが、かつては、このようなかたちで、集団を中心とした結婚が行われていたというわけなのである。
また、ブルデューは、現代の自由恋愛結婚市場について、かなり以前から深い見識を持っていたということがわかる。
親の権威の弛緩と若者の新しい価値観への接触によって、家族は結婚の成立における積極的な仲介者としての役割を奪われた。それと同時に「仲人好きの人」の介入はあまり見られなくなった。
その結果、結婚相手探しは個人のイニシアチブに委ねられることになった。旧来のシステムでは「口説くこと」をせずに済ますことができたし、口説く技巧をまったく知らずにいることもできた。しかし今やすべてが変わってしまったのである。
婚姻交換システムに、個人間競争の論理によって支配されるシステムが取って代わった。
「個人間競争の論理によって支配されるシステム」それこそが、現在の「自由恋愛結婚市場」のことなのである。
これまでの家族・一族という集団主体のシステムでは、お見合いが頻繁に行われ、良縁を提供してきた。そのため、ブルデューが述べるように『「口説くこと」をせずに済ますことができたし、口説く技巧をまったく知らずにいることもできた』わけだ。
しかし、時代が変わり、「個人間競争の論理によって支配されるシステム」が現状を支配するようになり、個々人はお互いに競争をしながら、結婚相手探しをしなければならなくなったのである。しかも、集団の支援なく、個人のイニシアチブによって、である。
この個人のイニシアチブによって、結婚相手探しを行うという競争原理が支配する、自由恋愛結婚市場が、どのような事態をもたらすのだろうか。それは、現在の日本を見ればわかるのであるが、ブルデューはインタビューによって、それらの問題について表現している。
この男が「押しの強い人」でないならば、どうやって機会を捕まえればいいのか。
女性との接触がないってことは、最も大胆な者に対してさえコンプレックスを与えてるものなんだよ。その人が、性格的に少し臆病な場合には、ことは一層深刻だな。
娘との絶えざる接触によって臆病さは克服されるだろうけど、しかしこうした接触がないような場合にはいっそう深刻になるってもんさ。自尊心の形をとった、嘲笑されるんじゃないかってことへの危惧にがんじがらめにされることもありうるだろうね。
臆病さは、時として誤った自尊心でもあってね、片田舎から出てきたという事実、こうしたすべてのことが、娘と有望な青年との間に溝をつくるんだよ
集団の支援なく、個人のイニシアチブによって結婚相手を探すということは、機会を手に入れることが個々人によって、差が生じることを意味している。
つまり、「押しの強い人」であれば、機会をとらえやすい反面、臆病な人であれば、機会をほとんどとらえることができなくなってしまうというわけなのである。
インタビューでは、有望な青年が、片田舎から出てきたという事実、コンプレックスでさえ、機会を失わせてしまうということについて述べている。
加えて、ここで興味深いことは、二極化の原理を示唆した表現があるところである。いわく、『女性との接触がないってことは、最も大胆な者に対してさえコンプレックスを与えてるものなんだよ。その人が、性格的に少し臆病な場合には、ことは一層深刻だな。娘との絶えざる接触によって臆病さは克服されるだろうけど、しかしこうした接触がないような場合にはいっそう深刻になるってもんさ』。
つまり、そもそも機会がない人の場合、慣れというメリットを得ることが難しい。
男性と女性との間でいえば、男性は『娘との絶えざる接触によって臆病さは克服されるだろう』けれども、そうした接触の機会がなければ、慣れることがなく、状況はより悪化してしまう。
その反面、機会をふんだんに得ている人は、その逆のパターン、つまり、正のフィードバックループが生じる。そもそも機会がある人は、慣れやすい。それが多少、臆病な者であっても、慣れてしまうことで、克服することができる。そうなると、ますます機会をとらえやすくなるのである。
要するに、機会の多い者は、より機会が多くなり、より機会をとらえやすくなるのである。その反面、機会のない者は、そもそも機会がなく、少ない機会をとらえることができず、機会をとらえる能力も向上しづらく、機会の多い者の能力には明らかな見劣りがしてしまうことになるのである。
個人のイニシアチブによって、結婚相手探しを行うという競争原理が支配する、自由恋愛結婚市場。それは、経済における自由市場原理と同種といえる。
経済においても、富める者と貧しい者が存在しているように、自由恋愛結婚においても、機会の富める者と貧しい者が存在する。
それは、自由市場における二極化という現象。
さて、このような状況下で、僕らはどうやって生きるべきだろうか。
結婚戦略―家族と階級の再生産 ピエール・ブルデュー (著) #90 you can buy this book on amazon.
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		<title>非モテ!―男性受難の時代 三浦 展 (著) #84</title>
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		<pubDate>Wed, 25 Mar 2009 10:46:07 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[
ベストセラー「下流社会」の著者でマーケティング・アナリストの著者、三浦展氏が、若者（男性）世代では「容姿」が格差意識の原因となりつつあること、「プレゼン力」「人間力」重視の果てにある「容姿決定社会」の実態について書いたのが本書。
ベストセラー『「婚活」時代』と系統の近い、恋愛結婚市場論についての書籍。
自分自身がロストジェネレーション世代であることから、この現代の恋愛結婚市場論については非常に興味があり、色々と調べているところ。本書も、非常に興味深いことが書かれており、参考になる。
最近の女性側のニーズは、より高い方向へと向かっているらしい・・・。
かつて「三高」という言葉があった。女性が結婚相手の男性に求めるものとして、身長、学歴、年収の三つが高いことが条件だという意味である。しかし最近は「三低」という条件もあるそうだ。
これは「低姿勢・低依存・低リスク」を意味する。ウィキペディアなどによれば、「低姿勢」は女性に対して威張らない、「低依存」は家事や身の回りのことを妻に頼らない、「低リスク」はリストラや事故・事件等に巻き込まれることの少ない職業に就いていることである。
これらは、現代女性の社会進出にともない、女性自身である程度の生計を立てることが可能になったことに加え、自己主張が可能になったことから導かれるものと思われる。
つまり、選択できる立場になっているのであるから、安易な妥協は避けようとするわけだ。安易な妥協を避け、自分より高スペックな男性、つまり、上方婚を求めるようになるというわけだ。この種の議論は、『「婚活」時代』にもよく述べられている。
その一方で、女性と男性の間には、文化的な側面において、同様のシフトが行われないという現実があるのだという。
女性は男性よりも経済力と文化力が比例しやすいと言われる。具体的に言うと、自分や夫や親の所得や学歴が高いと、女性の趣味はクラシックのコンサート、歌舞伎鑑賞、茶道、華道、ピアノ、バレエ、ワインなど正統的なものが増える。男性もそういう傾向はあるが、女性よりはずっと弱い。
女性が社会進出し、年収や学歴などの階層が高い女性が増えれば、女性は自分より階層が低い男性とは趣味が合わなくなるし、階層が同じ男性とすら合わなくなるだろう。女性よりも男性のほうが階層がずっと上でないと趣味が合わないということになりやすい。しかしそういう男性の数は限られている。それが未婚化が止まらない理由のひとつであろう。
これは現代の恋愛結婚市場論における重要な問題である、相互のスペックにおけるギャップである。
女性は自分と相性のいい、端的に言えば、趣味の合う、自分に釣り合うようなスペック（はっきり言えば、身長、学歴、年収だろうが）を持った男性を求める。そして、それは最低でも自分と同じか、それ以上のスペックである必要がある。
上記の引用を以て言えば、女性の階層上昇にともなう文化力の向上は、男性では行われないことから、自然と要求されるスペックを満たす男性の絶対数が限られるという帰結になる。ここまでは、単純であろう。
ここまでの議論を端的に言えば、「スペックの高い女性のハイエンド化（つまり、自身のスペックのハイエンド（上層）化であり、嗜好のハイエンド（高級）化であり、要求のハイエンド化である）は、要求を満たす男性の母集団を制限してしまう」という意味である。
しかし、その一方で、スペックの高い女性のハイエンド化は、往々にして、その女性の商品価値を高めるということには結びつかないということが状況を悪化させていると見られる。
これらの状況をせんじつめて言えば、「デキる女性だからといってモテるわけではない」、より深くえぐって言うと、「デキる女性であればあるほど、男は引いてしまう」という現代事情があるのだ。
また、スペックの高い女性は、そのスペックの向上そのものに膨大なリソースを傾けているという背景がある。それは、スペックを上昇（年収アップ、スキルアップ）させるためには、それなりにすべきことがあるからである。
ここで言うリソースは、お金であり、エネルギーであり、時間である。総じて、時間のファクターは婚活市場においては、極めて重要なインパクトを持っている。
要点は２つ。
１．スペック向上に傾けた時間は、同時に、婚活に要する時間の喪失を意味する
２．時間の経過は、（非情ではあるが）女性の商品価値が劣化していくことを意味する
１．スペック向上に傾けた時間は、同時に、婚活に要する時間の喪失を意味する
結婚するには、時間が必要だ。
それは、少し考えれば、わかるだろう。結婚するまでに、お互いを知るための時間が必要になる。それは、一週間では不十分だとはわかる。
つまり、二人が出会い、付き合い、結婚するという一連のプロセスにおいて、「結婚とそれに伴う準備期間でさえ、時間が必要」なのである。
人生は有限である。何かに時間を費やせば、それ以外のことに同時に時間を費やすことはできなくなる。つまり、人生はトレードオフの連続であるというわけだが、それは婚活においては非常に大きな意味を持つのだ。
短く言えば、仕事を頑張ったり、スキルアップに励めば、それに費やした時間だけ、婚活にかける時間が減ってしまうということなのだ。
２．時間の経過は、（非情ではあるが）女性の商品価値が劣化していくことを意味する
花の命は短い。
大変、非情な表現ではあるし、個人的な意見は別としても、世の男性の価値観は、女性の年齢を重視してしまうと見ることができる。
端的に述べていくと、女性がスペック向上に励み、より高スペックになればなるほど、時間が経ってしまい、自分自身の商品価値が劣化していくことになるのである。悲しいことではあるが、否定できない現実であることは、周りを見渡せばわかる。
これらのことは、つまりは、高スペックな女性が未婚化・晩婚化してしまう要因と言えよう。
ここまで、相互のスペックにおけるギャップについて、女性の側面から見てきたが、男性の側面から見ても面白いことがわかる。
これまで述べてきたように、高スペックな女性は自分の要求を満たすことのできる超高スペックな男性を求めているのであるが、第一に要求を満たす男性の母集団はスペックにより制限され、そもそもの人数が少ないということがある。
加えて、それらの超高スペック男性は、スペックの高さゆえ、非常に多忙である。そのため、通常の出会いがないことが多い。
そして、さらには、超高スペック男性は、そのスペックの高さゆえ、高スペック女性と同様に、要求が高いのだ（笑）。しかも、ここでの男性の要求は、女性にとっては都合の悪いことに、「女性自身が思うスペックの高さではない」のである。端的に言えば、超高スペックの男性が女性自身の思う高スペックの女性、つまりは、「自立した女性」を好むのかというと、そうではないのだ。
超高スペック男性は、すでに高収入を得ているのだから、女性に稼いでもらう必要もない。そのため、専業主婦になってもらいたかったり、おしとやかで自分をサポートしてくれるような女性を求めているのである。加えて言えば、男性目線でのスペックの高さは、年齢の若さであったりする場合も多々あるのである。
このため、「自立した女性、高スペック女性」は、二重の意味での制約を受ける。つまり、１．自分より高スペックな男性は少なく、２．条件を満たす超高スペック男性は自分を選んでくれる可能性が低めである、ということである。
このように、私的な観察から得られた知見を踏まえた上での結論として、現代の恋愛結婚市場には、相互のスペックにおけるギャップが存在するわけである。
『「婚活」時代』では、「婚活（結婚活動）をせよ」と主張されている。
誰しもが理想的な結婚、つまりは理想婚を望んでいることだろう。しかし、現代事情は、妥協婚せざるを得ない状況の人々を生み出してもいる。これこそが、現代恋愛結婚市場の自由市場化のもたらした結果であろう。
現在、経済も、市場主義経済体制の影響で、不況を呈している。
その一方で、結婚市場でも、市場主義の影響があらわれているようである。
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		<title>クリエイティブ都市論―創造性は居心地のよい場所を求める　リチャード・フロリダ (著), 井口 典夫 (翻訳) #82</title>
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		<pubDate>Mon, 16 Mar 2009 13:02:32 +0000</pubDate>
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		<category><![CDATA[ビジネス書全般など]]></category>
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		<category><![CDATA[地理]]></category>

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		<description><![CDATA[
「クリエイティブ資本論」の著者で、トロント大学ロットマン・スクール・オブ・マネジメント教授の著者、リチャード・フロリダ氏が、クリエイティブ・クラスが主導する経済において、先端的な経済発展はメガ地域に集中し、相似形になっていく世界都市の現実と近未来像を描きつつ、クリエイティブ・クラスにとっての自己実現の重要な手段となっている居住地の選択について、独自の経済分析、性格心理学の知見を使って実践的に解説したのが本書。
以前書いた記事、「メガ地域がグローバル経済を動かす &#8211; リチャード・フロリダ」の書籍化と思われる。
福岡のはずれに、おしゃれなカフェがあった。
僕はそのカフェのある山の頂上付近の展望台に行こうと車を走らせていた。
そんなときに、たまたま、そこへ行く道の途中にあったカフェだった。
そこは山奥の見晴らしのいい場所にあって、雑誌にとり上げられていたことを思い出し、偶然もあるものだと感じながらも、カフェに入ってお茶を飲んだ。
コンクリートと鉄骨でモダンな雰囲気を出しているカフェの店内に入ってみると、見晴らしのいい場所で、山の高いところから、福岡の東側が見渡せる位置にあった。
静かな店内で、僕はPCを開いてメールをした。
そうして気付く。
福岡の山奥のカフェでも、都心部のオフィスでも、東京の真ん中でも、アメリカ・ニューヨークでも、同じように仕事ができる。
これが現代の時代を象徴している姿なのだ。
つまりは、ワイヤレス通信、モバイル機器といったテクノロジーの発達と通信インフラの充実によって、僕らのビジネスの姿は、地理的な影響から解き放たれたというわけだ。
ベストセラー「フラット化する世界」の著者、トーマス・フリードマンの主張はこうだ。
「世界はフラット（平ら）になった。どこに住んでいようと、グローバル経済に参加できる」
しかし、本書の著者、リチャード・フロリダはこう言う。
「世界はフラットではない。世界は鋭い凹凸があって『スパイキー』だ」と。
新たな経済単位である「メガ地域」がグローバル経済をかたちづくっているのだと主張する。
リチャード・フロリダの研究チームは、グローバル経済は概ね20から30という少数のメガ地域が担っているとする結論を導いた。
（注：ちなみに、「広域東京圏」「大阪＝名古屋」「九州北部」「広域札幌圏」が世界の主要なメガ地域に含まれているとのことだ。うれしいかぎりだ。）
つまり、リチャード・フロリダは、グローバル経済の波とテクノロジーの発展をもってしても、なお、「住む場所」が人生、つまりは、職業、職業的成功、仕事上の人脈、快適な暮らし、伴侶を見つけることといったもの、に影響を与えると主張しているのである。
そして、僕も（おそらくは、あなたも）ぼんやりと気付いている。
いかにテクノロジーが発達して、通信手段が効率的になったとしても、依然として地理的な影響、つまり、住む場所の影響は大きいのだと。
リチャード・フロリダの長年の研究から生まれた本書から学べることは多い。
才能、イノベーション、クリエイティビティのような現代の主要な生産要素は均一に分布していない。
むしろ特定の地域に偏り、集中しているのだ。
現代のクリエイティブ経済における経済成長の真の原動力とは、才能と生産性に満ちた人々の蓄積と集中化である。
彼らが特定の地域に寄り集まって住むことで、新しいアイデアが生まれ、その地域の生産性は増加する。
集積化によって個々の生産力が高まり、今度は生産物と富の増加を生成しつつ、地域そのものの生産性を高めるのだ。
今日、世界の人々の半分以上が都市圏に住んでいる。事実、アメリカでは国内総生産（GDP）の90パーセント以上を大都市圏が担い、さらに、そのうち23パーセントを、たった5つの主要都市が稼ぎ出している。
つまり、現代において重視される才能やイノベーション、クリエイティビティをもたらす人たちは、均一に散らばっているのではなく、特定の地域に集中している、ということなのだ。
集中、集積することで、生産性が高まり、また、それが才能豊かな人たちを惹きつけることになる。
これは、都市の魅力が正のフィードバックループによって自己強化するプロセスが存在するということである。
このことがもたらす帰結は単純である。
二極化だ。
つまり、非常に高い魅力を持った都市とほとんど魅力のない都市に分かれ、魅力ある都市は才能豊かな人を惹きつけ、生産性も高まり、経済成長をもたらす、端的に言えば、成長する大都市となる。
一方で、魅力に欠けた都市は、才能豊かな人が流出してしまうことで、さらに生産性が低くなり、そのことがさらなる魅力の喪失を招き、人口の流出によって過疎化しだす、端的に言えば、衰退する都市となるわけだ。
しかし、一方で、住む場所、つまり、居住地は、経済合理性だけで選ばれるものではない。
人の居住地選択には、感情的な側面もある。
そのことについても、非常に興味深い調査結果と共に、本書で言及されている。
ロンドン大学の経済学者ナッタブド・ポウドサベーは、2007年に興味深い研究を行っている。
その内容はアンケート調査によって、頻繁に会う友人や親戚の金銭的価値を試算するものだった。
彼によると、友人や親戚と毎日欠かさず会えることは10万ドル以上の追加収入に匹敵するという。
たとえば、家族や友人に定期的に会える場所から、はるか遠くへ引っ越したとする。その喪失感は13万3,000ドルに相当するというのだ。
友人や親戚と会えることに対する価値は、非常に高い金銭的価値を持っているのだというわけだ。
続けて、リチャード・フロリダのサンプルデータからの興味深い知見も述べられる。
移動した人々もたいてい、最終的には故郷へ帰る決心をする。家族と一緒に暮らしたいから、年老いた親や子供の面倒を見るため、また生涯の友人と一緒にいたいからなど理由はさまざまだが、故郷が人を惹きつける力は途方もなく大きい。
私は本書の執筆にあたって、およそ200例もの詳細な移動のサンプルを集めたが、そのうちの多くが転居を繰り返した後、人生の後半になって故郷に戻っている。
これらを総じて見ると、人の居住地は、純粋に経済合理性だけでは片づけられないように感じる（個人の価値観次第ではあるが）。それでは、いったい、どのようにして自分に適した居住地を把握すればいいのだろうか？
そのことについて言及したのが、第12章「最高の居住地を見つける方法」である。
最高の居住地を見つけるにあたり、検討すべき事項としてリチャード・フロリダは5つ挙げている（引用は抜粋）。
１．	居住地が、仕事や職業上の成功に与える影響に注意を払うべきだ。
２．	親しい知人や親類がそばにいることの有難みと、彼らから離れることによる代償を把握するのも重要だ。
３．	自分のライフスタイルに合う場所を探す時は、自分の気持ちに正直にしたがうべきである。
４．	住みたいと思った候補地が、自分の性格に合うものかどうかも熟考すべきだ。
５．	最後に、候補地が現時点のライフステージに見合うかどうかを確認することも重要である。
つまりは、仕事・職業上の成功（経済合理性）、親しい人間関係を失う代償、ライフスタイルの適合、自分の性格との適合、自身のライフステージとの適合、といった要素を検討すべき、というわけだ（この章の続きでは、実用性のあるツールとして、10のステップが書かれている）。
人生における重大な決断、つまり、「どこに住むべきか」を考える際に、これらの知識を持っておくことは非常に有益なことだと感じた。また、個々人のライフステージによって居住地が変わること、検討事項の考慮は、今後の指針となるだろう。
経済がグローバル化して、ますます重要度を増している「場所（ロケーション）」。
これからますます、地域間に格差が生じていくことになると同時に、どの地域に住むべきかという判断を迫られるようになる現代人。
そんな現代人が人生の節目節目で、参照すべき書だと思う。
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