死、それは成長の最終段階―続 死ぬ瞬間 エリザベス キューブラー・ロス (著) #105

9月 10th, 2009 by blogown

本書の裏側にはこう書かれている。

『人が目的のない虚しい人生を送ってしまう原因の一つは、死の否認である。永遠の命を持っているように生きていると、やるべきことを先延ばしにしがちだからだ。死を意識することによって、人間は最後の段階まで成長する-。』

僕は今、さまざまな方の人生を取材して回るという活動をしている。
つまり、人の人生を数多く疑似体験しているというわけだ。

この活動を通して感じるのは、人の人生は短いということだ。
あっという間に時はたち、あっという間に時機を逃してしまうこともある。

人生には、必ず終わりがやってくる。
しかし、必ず来る終わりを無視して、否認してしまうと、だらけた生活を送ってしまうことになりがちだ。

エリザベス・キューブラー・ロスは、死を意識することが成長をもたらすと述べる。
同感だ。

本書でもこう書かれている。
仏教、仏陀について書かれたくだりの部分。
『万物は「変化と衰退から免れられず」、そして死は「万物に定められている終わりである」』
『「…しかも世間はその恐ろしさを忘れ、気にも留めていない。人の心は恐怖というものに実に無頓着になっている。考えてもごらん。人は、あの世への道を旅しているというのに、こんなにも安穏に暮らしているではないか…』

人生には終わりが存在し、それを意識し、短いものだと自覚したうえで、「諸欲の根を絶つ」のか、夢や目標に向かってまい進するのか、絶望にうちひしがれるのかは個々人によるだろう。

だが、その限りのあることを意識しないままでは、自分の資源を無駄遣いしかねない。
1日は24時間であり、1年は365日。
120歳まで生きられる可能性は今のところ、ゼロに近い。

さて、いかに生きるべきか。
そして、いかに死ぬべきか。

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貧困の終焉 ジェフリー サックス (著) + 世界を変えるお金の使い方 山本 良一 (著), Think the Earth Project (著) #103,104

8月 15th, 2009 by blogown

はるか遠くの地では、構造的な苦難に直面し、飢えと病気に苦しみ、汚染された飲料水を飲み、極貧のうちに生涯を終える人々が存在している。

経済発展をハシゴにたとえ、その段を上がることが経済的な幸福につながると考えるなら、世界中でおよそ十億人(全人類の6分の1)が現在、開発のハシゴの一番下の段にさえ、足のかからない人々が存在しているのだ。

本書は、私たちが生きているあいだに世界の貧困をなくすことについて書かれた本だ。

この世界がすべて正しい方向に進んでいるとはかぎらない。
アメリカ政府は4500億ドルを軍事費に回す一方で、世界の貧困対策には150億ドルしか投入していない。

世界の貧困を救うよりも、戦争に対して30倍ものお金を使っているというのが現実なのだ。

たとえば、ケニアのサウリでは、人々は飢えとエイズとマラリアに苦しんでいる。
成人のエイズ罹患率はおよそ30%。ほぼ全家庭が、エイズのせいで親を亡くした子供を引き取っている。しかし、その一方で、エイズ治療である抗レトロウイルス治療は、誰も受けていない。

4分の3の家庭には、マラリア患者がいる。しかし、すべての家庭がひとつ数ドルのマラリア予防の蚊帳を知っていて、使いたいと望んでいるにもかかわらず、実際に使っているのは200人中2人だけ。高すぎて、買うことができないのだ。

病気にかかってしまったとしても、事態は好ましいとはいえない。なぜなら、医師がいないからだ。それは、医師への給料が支払えず、薬も買えないためだ。

児童のほとんどは、授業料、制服代、備品などのお金がないことから、中学に進学できない。そして、ほとんどの児童は、授業のあいだ、空腹ですごすことが多い。

現状の問題を端的に述べよう。

この村や似たような世界中の貧しい村は、救うことができ、開発への道を歩むことができる。

しかし、自力ではできない。なぜなら、彼ら自身が自分たちでそのコストをまかなうには大きすぎる金額だからだ。

ただ、彼らにとっては大きすぎる金額でも、世界にとってはわずかな金額にすぎないのである。

では、このような飢えと病気と死によって彩られた極貧の社会を健康で経済開発の可能な社会へと変えるためにどのようにすればいいのだろうか。それには大きく5つの項目がある。

1.農業への投資
肥料、改良休閑地、緑肥、雨水貯留などの導入で、1ヘクタールあたりの食料収穫量を3倍に増やすことができ、長期的な飢餓の解消につながる。

2.基本的な健康への投資
住民5000人につき、医師と看護師1人ずつのいる診療所をつくり、マラリア予防の蚊帳を無料で配給する。基本的な各種医療サービスの提供。

3.教育への投資
児童の健康状態改善と教育成果、出席率向上のため、小学校の全児童への給食を受けられること。職業訓練の充実によって、近代農法、コンピュータなど、自立に必要な知識を学ぶことができる。

4.電力、輸送、コミュニケーション・サービス
電力によって、安全な水をくみ上げるポンプ、製粉、加工、電灯などが利用できる。加えて、移動手段の充実と外界とのコミュニケーションが可能になることで、社会的な孤立を防ぐことができる。

5.安全な飲料水と衛生設備
汚染された水を飲まずにすみ、女性や子供たちが毎日何時間もかけて水汲みしなくてすむようになる。

たとえば、ケニアのサウリ住民5000人に対して、これらのサービスにかかるコストは、トータルで年間35万ドル。サウリ住民1人あたりにすれば年間70ドル。

これらの項目に対して、世界にとってはわずかなコストを支払うことで、極貧住民たちの自立支援を行うことができるのである。

豊かな社会に生きているために気づかないでいるだけで、はるか遠くの地では極度の貧困にあえぐ人々がいる。

彼らは自分たちの声を伝えていくことができないために、多くの人は彼らの存在を意識することもなく日々をすごしている。

しかし、彼らの存在に気づき、少しでも何かできたとすれば、少しではあるが、よりよい社会になっていくのではないだろうか。

それでは、よりよい社会のために、私たちが何ができるのか、を考えてみよう。

参考になる書籍として、「世界を変えるお金の使い方」がある。

本書は、「お金をどのように使うべきか」について論じた本であり、社会貢献できるお金の使い方について書かれた本である。

世界をよりよい場所にするために、豊かな社会に住む私たちが少しばかりのお金でできることについて、わかりやすく伝えてくれている。

前述のジェフリー・サックスの書いた書籍の流れから、極度の貧困に関係するお金の使い方について、少し書き出してみる。

100円で・予防可能な感染症の中で死亡率が高く、手足に重い後遺症を残すポリオからミャンマーの子ども5人を守ることができます。

500円で・西半球の最貧国、ハイチ共和国の診療所で、不足しているお医者さんをひとり雇うことができます。

1兆2,000億円で・教育の機会を与えられていない世界中の子供たち全員が初等教育を受けられます。

最後の項目は、非常に大きな金額のように感じる。しかし、本書の下部には、こう書かれている。

「1兆2,000億円・世界全体の軍事費、4日分」
2003年の世界での軍事費は合計9,560億ドル
1日あたり26億2,000万ドル。

1週間分の軍事費を教育費に回せば1億人を超える子供たちが十分な基礎教育を受けられることになる。

誰かが言った。

「少年は年をとり、大人になるにつれて、社会の理不尽さについて学ぶ」

たとえ、大人になって、社会の理不尽さを学んだとしても、それに抗うことをやめてはならない。

自分だけの未来ではなく、社会全体の未来を。
世界をよりよい場所とするために。

本書には、具体的にどのようにアクション、行動すればいいのかが案内されているので、本書を参考に、具体的な行動をされてみてはいかがだろうか。

追記:
なぜ、このような格差が生じたのか。
なぜ、経済発展に差が生じたのか、というテーマについて深く知りたいと考えたとき、この問題の背景を知りたいと考えたときに参考になる本としては、「銃・病原菌・鉄(上下)」ジャレド ダイアモンド (著)(草思社刊)がある。
銃・病原菌・鉄〈上巻〉 ジャレド ダイアモンド (著)
銃・病原菌・鉄〈下巻〉 ジャレド ダイアモンド (著)

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人生の短さについて セネカ (著) #102

7月 14th, 2009 by blogown

セネカは、二千年前の古代ローマ帝国を生きた思想家。哲学者にして、詩人・劇作家、政治家。

雑事をしているだけで、あっという間に時間は過ぎ去ってしまう。そのため、私たちは、毎日忙しい日々を過ごしています。

読まなければならない資料や本、雑誌。返信しなければならないメール、手紙。決断しなければならない事項の山。ある場所から、ある場所へと飛び回る移動。

私たちは日々、何かに追われるかのように時間をすごし、あっという間に過ぎ去っていく時間を振り返る時間すら、ほとんど残されていません。

そんな私たちに対して話しているかのように、二千年前に生きた思想家、セネカは「人生の短さ」について、このように話してくれています。

人生は短くなどありません。
与えられた時間の大半を、私たちが無駄遣いしているにすぎない
のです。

人生は十分に長い。
上手に使いさえすれば、偉業を成し遂げられるほどたっぷりと与えられているのです。

人間はそれを、何の役にも立てず湯水のごとく浪費した挙句、土壇場になってようやく気づくのです。

いつのまにか人生は過ぎ去ってしまった、と。

つまり、人は短い人生を与えられるのではなく、むしろ自分で短くしている。足りないのではなく、浪費しているというわけです。

価値ある情報が何も得られないようなテレビ番組や雑誌、ウワサ話、安易な娯楽、事務作業。そのような価値のないことに時間を浪費してしまうことこそが、自分自身の人生を短くしている原因であるというわけです。

では、なぜ、私たちは時間を無駄遣い、浪費してしまうのでしょうか?

時間が貴重なものであると、本当にわかっているのであれば、浪費することもないでしょう。

その理由についても、セネカは語っています。

人は、自分が永遠に生き続けるものと思っているからなのです。

自分の弱さなど少しも念頭になく、どれだけの時間が失われたかにも気づかない。
涸れることのない泉か何かのように時間を無駄遣いしている

そうやって他人やものごとのために使っている今日という一日が、最後の一日かもしれないというのに。

死を免れない者として何もかもを恐れながら、そのくせ不死の存在であるかのように、何もかもを手に入れたいと望むのです。

つまりは、自分の死について、人生の有限さについて、自覚できないということが理由なのです。

自分の人生に、まさか終わりが来るなどとは思ってもいませんし、今の日々がずっと続くものと思っているものなのです。

私自身を含めて、いくばくかの人たちが、自分の生き方や自分の振る舞いを振り返り、違う人生を生きるようになる原因のひとつは、「死に直面すること」であることが多々あります。

たとえば、それは父親といった肉親の死であったり、近しい友人の死であったり、はたまた自分自身が大病を患い、死を意識したというようなかたちで、訪れます。
しかし、たいていの人にとっては、死は自分の人生からは、ほど遠い存在、普段はまったく意識することのない存在であることから、人は人生が永遠に続くものと思ってしまうのです。

これまで話してきたように、人生には限りがある一方で、私たちは無駄遣いをしてしまっていて、自らの人生をより短いものにしてしまっているのです。

それでは、人生を最大限に活用し、何かを成し遂げるためには何をすべきなのでしょうか?

それは、「自分の人生において、価値のあることに時間を配分する」ということです。

人の時間は有限で、どんなにお金持ちでも、1年は365日で1日は24時間しかありません。

しかし、一方で、何かをなすには時間と労力が必ず必要になってきます。

つまり、人は自身の限られた資源をいかに配分すべきか、という判断を慎重にしなければならないというわけです。

なぜなら、無価値なものに時間を配分してしまうと、それは、価値あることに配分できたはずの時間を失ってしまうことと同義だからです。

また、このことは、同じ年齢でも、成果をあげた人とあげていない人の違いを生み出している要因のひとつでもあります。
セネカはこう語っています。

相手の白髪やしわを見ただけで、長く生きてきた人間と思うのはおやめなさい。
長く生きてきたのではなく、長く存在してきただけかもしれないのです。

それはまるで、港を出た直後にひどい嵐に遭った男を見て、長旅を経てきた人間と思い込むようなものです。

実際には、四方八方から強風に煽られてあちらへ吹き飛ばされたかと思えば、こちらに吹き戻され、同じ海域をぐるぐる巡っていたにすぎません。

そんなものは、長く翻弄されたのであって、長く旅してきたことにはならないのです。

何かを成し遂げたいと望むのであれば、長く存在してきただけであるような人間であるべきではありません。

そうならないためには、自分の人生において、価値あることに時間という資源を配分すべきなのです。

もし、あなたが世界における極度の貧困をなくしたいと望むのであれば、ぼんやりとテレビを見ていてはいけないのです。

その望みに、一歩でも前進することのできるような活動に時間を配分すべきなのです。

たとえば、関連した書籍を読んだり、最前線で動いている人に話を聞きにいったり、実際の現場を見に行ったり、実際に自分自身でできる行動をしたりといったことです。

果たして、人生は短いのか、長いのか。
セネカの言うことがすべてではありません。

しかし、自分の人生において、その時間はできるだけ、価値のあることに配分したいものです。

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私の財産告白 本多静六 (著)#96

5月 21st, 2009 by blogown

林学が専門の東大教授でありながら、独自の蓄財法と人生哲学をもって、一代で巨額の財産を築くことに成功した著者、本多静六(1866-1952)が蓄財、財産について語ったのが本書。

お金持ち哲学について書かれた本であり、基本的には蓄財本、金持ち本である。しかし、ぼくは、本書から蓄財を含めて、大きく三つのことを学んだ。

それは、蓄財、職業道楽論、そして、幸福についてである。

この三つは、現代に生きる人であれば、常に頭を悩ませ続けているテーマだろう。

蓄財について

本多静六の語る蓄財アプローチは、非常に基本的であり、本質的なものである。それは、「勤倹貯蓄」である。このアプローチは、時代が変わっても変化しない、本質的なものであることがわかる。本多静六は語る。

本多式「四分の一天引き貯金法」

いくらでもいい、収入があったとき、容赦なくまずその四分の一を天引きにして貯金してしまう。そうして、その余の四分の三で、いっそう苦しい生活を覚悟の上で押し通すことである。

さらに詳述してみると、「あらゆる通常収入は、それが入ったとき、天引き四分の一を貯金してしまう。さらに臨時収入は全部貯金して、通常収入増加の基に繰り込む」法である。これを方程式にすると、

貯金=通常収入×1/4+臨時収入×10/10

天引き貯金法は、先に天引きしてしまい、無理やり一定割合を貯金することになるので、非常に効果的なものといえよう。つまり、この貯金法によって、元手をつくりだすのである。

ただ、これらのアプローチ、本多静六が蓄財法について目覚めることができたのは、本人だけの力ではない。本多静六には、蓄財の師匠がいた。

それはブレンタノ博士である。彼は、本多静六がドイツ留学のときに師事した教授であり、資産家だった人物である。

ブレンタノ博士は、さらにこういうことをいわれた。

財産を作ることの根幹は、やはり勤倹貯蓄だ。これなしには、どんなに小さくとも、財産と名のつくほどのものはこしらえられない。さて、その貯金がある程度の額に達したら、他の有利な事業に投資するがよい。貯金を貯金のままにしておいては知れたものである。

どんなに時代が変わっても、状況が移りかわっても、財産を作ることの根幹が「勤倹貯蓄」にあるのだと気づかされる。同時に、本多静六はその障害についてこう言う。

貯金生活をつづけていく上に、一番のさわりになるものは虚栄心である。

次のテーマは、職業道楽論。つまり、人生における仕事の意味についてである。

人生において、仕事の占める割合は大きい。ほとんどの人にとってそうであろうが、人生の大半は仕事が占めているといっても過言ではなかろう。そのことについて、どうとらえるか、どう考えるかが、人生を左右してしまうともいえる。

そういった背景があるなか、本多静六は、職業道楽論を主張する。

人生の最大幸福は職業の道楽化にある。富も、名誉も、美衣美食も、職業道楽の愉快さには比すべくもない。

本書では、彼自身の職業道楽論のみならず、渋沢栄一翁の述べたことについても書かれている。

昔、渋沢栄一翁が埼玉県人会のある席上で、私が例の職業道楽論を一席述べた後に起たれて、

「若い頃自分の故郷に、阿賀野の九十郎という七十いくつになる老人があって、朝早くから夜晩くまで商売一途に精を出していたが、あるとき孫や曾孫たちが集まり、おじいさん、もうそんなにして働かないでも、うちには金も田地もたくさんできたじゃないか。伊香保かどっかへ湯治にでも行ってゆっくりしたらどうですとすすめたところ、九十郎老人の曰く、おれの働くのはおれの道楽で、いまさらおれに働くなというのは、おれにせっかくの道楽をやめろというようなものだ。全くもって親不孝の奴らだ。それにお前たちはすぐ金々というが、金なんかおれの道楽の粕なんだ。そんなものは、どうだっていいじゃないかといわれた。-諸君も本多の説に従って盛んに職業道楽をやられ、ついでに、また盛んに道楽の粕を溜めることです」

要は心の持ちようであるともいえる。

自分のしている仕事を道楽だと感じるようになり、好きなことをし、その粕として金が残る。

それは、とてもすばらしいことだ。
道楽をして、好きなことをして、粕がたまる、金がたまる。
すべてが幸福につながるのである。

たしかに、現実問題として、そのような心持ちになること、自分の状況を振り返ってみて、かけ離れているように感じるかもしれない。しかし、それがこのコンセプトを否定することにはならない。もし、このコンセプトが素晴らしいと感じるのであれば、それに近づけることこそが重要であろう。

最後のテーマは、幸福についてだ。

二杯の天丼はうまく食えぬ

私が苦学生時代に、生まれて初めて一杯の天丼にありついたとき、全く世の中には、こんなウマイものがあるかと驚嘆した

後年、海外留学から帰ってきて、さっそくこの宿願の「天丼二杯」を試みた。ところが、とても食い尽くせもしなかったし、またそれほどにウマクもなかった。この現実暴露の悲哀はなんいついても同じことがいえる。

ゼイタク生活の欲望や財産蓄積の希望についてもそうであって、月一万円の生活をする人が二万円の生活にこぎつけても幸福は二倍にならぬし、十万円の財産に達しても、ただそれだけではなんらの幸福倍化にはならない。いったい、人生の幸福というものは、現在の生活自体より、むしろ、その生活の動きの方向が、上り坂か、下り坂か、上向きつつあるか、下向きつつあるかによって決定せられるものである

本多静六は、言う。
収入・財産の倍化がすなわち、幸福の倍化ではない、と。
むしろ、生活の動きの方向が上向きか、下向きかによって決まるのだ、と。

幸福につながるのは、前向きに努力する生き方なのだろう。

私の財産告白 本多静六 (著)#96 You can buy this book on amazon.

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