結婚戦略―家族と階級の再生産 ピエール・ブルデュー (著) #90

4月 28th, 2009 by blogown

著書『ディスタンクシオン』で有名なフランスの社会学者である著者、ピエール・ブルデューが、1950年代に独身者数の増大に悩む生まれ故郷ベアルン(フランス農村)での、結婚市場をめぐる調査から、婚姻交換システムの変容とそれがもたらした結果について述べたのが本書。

もちろん、僕は戦前生まれではないので、だいぶ昔の結婚事情については知らない。しかし、漠然としてではあるが、日本史の勉強を通して、また、世間での常識を通して、認識してはいる。

それは、家同士のつながりで、長男が家督相続して、お見合いがほとんどであった、というような具合である。本書の著者(そして、僕が敬愛する)ピエール・ブルデューは、冒頭部において、そのことについて、端的に説明してくれている。

1914年以前には、婚姻は非常に厳格な規則により規制されていた。婚姻が家族的農業経営の将来全体を左右していたために、また婚姻が非常に重大な経済的交渉の機会でもあったために、さらにそれが社会的なヒエラルキーや、このヒエラルキーにおける家族の地位を再確認させることになったために、婚姻とは、個人というよりも集団の関心事なのであった。結婚するのは家族であったし、人は家族と結婚したのである。

婚姻は、家産の一体性を損なうことなく家系の継続性を保証することを第一次的機能としている。

結婚はかつて、一個人の問題ではなく、家族、ひいては一族という社会集団における問題であったことがわかる。

現代では、それらの価値観が比較的薄くはなってきているのでわかりづらいが、かつては、このようなかたちで、集団を中心とした結婚が行われていたというわけなのである。

また、ブルデューは、現代の自由恋愛結婚市場について、かなり以前から深い見識を持っていたということがわかる。

親の権威の弛緩と若者の新しい価値観への接触によって、家族は結婚の成立における積極的な仲介者としての役割を奪われた。それと同時に「仲人好きの人」の介入はあまり見られなくなった。

その結果、結婚相手探しは個人のイニシアチブに委ねられることになった。旧来のシステムでは「口説くこと」をせずに済ますことができたし、口説く技巧をまったく知らずにいることもできた。しかし今やすべてが変わってしまったのである。

婚姻交換システムに、個人間競争の論理によって支配されるシステムが取って代わった。

「個人間競争の論理によって支配されるシステム」それこそが、現在の「自由恋愛結婚市場」のことなのである。

これまでの家族・一族という集団主体のシステムでは、お見合いが頻繁に行われ、良縁を提供してきた。そのため、ブルデューが述べるように『「口説くこと」をせずに済ますことができたし、口説く技巧をまったく知らずにいることもできた』わけだ。

しかし、時代が変わり、「個人間競争の論理によって支配されるシステム」が現状を支配するようになり、個々人はお互いに競争をしながら、結婚相手探しをしなければならなくなったのである。しかも、集団の支援なく、個人のイニシアチブによって、である。

この個人のイニシアチブによって、結婚相手探しを行うという競争原理が支配する、自由恋愛結婚市場が、どのような事態をもたらすのだろうか。それは、現在の日本を見ればわかるのであるが、ブルデューはインタビューによって、それらの問題について表現している。

この男が「押しの強い人」でないならば、どうやって機会を捕まえればいいのか。

女性との接触がないってことは、最も大胆な者に対してさえコンプレックスを与えてるものなんだよ。その人が、性格的に少し臆病な場合には、ことは一層深刻だな。

娘との絶えざる接触によって臆病さは克服されるだろうけど、しかしこうした接触がないような場合にはいっそう深刻になるってもんさ。自尊心の形をとった、嘲笑されるんじゃないかってことへの危惧にがんじがらめにされることもありうるだろうね。

臆病さは、時として誤った自尊心でもあってね、片田舎から出てきたという事実、こうしたすべてのことが、娘と有望な青年との間に溝をつくるんだよ

集団の支援なく、個人のイニシアチブによって結婚相手を探すということは、機会を手に入れることが個々人によって、差が生じることを意味している。

つまり、「押しの強い人」であれば、機会をとらえやすい反面、臆病な人であれば、機会をほとんどとらえることができなくなってしまうというわけなのである。

インタビューでは、有望な青年が、片田舎から出てきたという事実、コンプレックスでさえ、機会を失わせてしまうということについて述べている。

加えて、ここで興味深いことは、二極化の原理を示唆した表現があるところである。いわく、『女性との接触がないってことは、最も大胆な者に対してさえコンプレックスを与えてるものなんだよ。その人が、性格的に少し臆病な場合には、ことは一層深刻だな。娘との絶えざる接触によって臆病さは克服されるだろうけど、しかしこうした接触がないような場合にはいっそう深刻になるってもんさ』。

つまり、そもそも機会がない人の場合、慣れというメリットを得ることが難しい。

男性と女性との間でいえば、男性は『娘との絶えざる接触によって臆病さは克服されるだろう』けれども、そうした接触の機会がなければ、慣れることがなく、状況はより悪化してしまう。

その反面、機会をふんだんに得ている人は、その逆のパターン、つまり、正のフィードバックループが生じる。そもそも機会がある人は、慣れやすい。それが多少、臆病な者であっても、慣れてしまうことで、克服することができる。そうなると、ますます機会をとらえやすくなるのである。

要するに、機会の多い者は、より機会が多くなり、より機会をとらえやすくなるのである。その反面、機会のない者は、そもそも機会がなく、少ない機会をとらえることができず、機会をとらえる能力も向上しづらく、機会の多い者の能力には明らかな見劣りがしてしまうことになるのである。

個人のイニシアチブによって、結婚相手探しを行うという競争原理が支配する、自由恋愛結婚市場。それは、経済における自由市場原理と同種といえる。

経済においても、富める者と貧しい者が存在しているように、自由恋愛結婚においても、機会の富める者と貧しい者が存在する。

それは、自由市場における二極化という現象。
さて、このような状況下で、僕らはどうやって生きるべきだろうか。

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非モテ!―男性受難の時代 三浦 展 (著) #84

3月 25th, 2009 by blogown

ベストセラー「下流社会」の著者でマーケティング・アナリストの著者、三浦展氏が、若者(男性)世代では「容姿」が格差意識の原因となりつつあること、「プレゼン力」「人間力」重視の果てにある「容姿決定社会」の実態について書いたのが本書。

ベストセラー『「婚活」時代』と系統の近い、恋愛結婚市場論についての書籍。

自分自身がロストジェネレーション世代であることから、この現代の恋愛結婚市場論については非常に興味があり、色々と調べているところ。本書も、非常に興味深いことが書かれており、参考になる。

最近の女性側のニーズは、より高い方向へと向かっているらしい・・・。

かつて「三高」という言葉があった。女性が結婚相手の男性に求めるものとして、身長、学歴、年収の三つが高いことが条件だという意味である。しかし最近は「三低」という条件もあるそうだ。

これは「低姿勢・低依存・低リスク」を意味する。ウィキペディアなどによれば、「低姿勢」は女性に対して威張らない、「低依存」は家事や身の回りのことを妻に頼らない、「低リスク」はリストラや事故・事件等に巻き込まれることの少ない職業に就いていることである。

これらは、現代女性の社会進出にともない、女性自身である程度の生計を立てることが可能になったことに加え、自己主張が可能になったことから導かれるものと思われる。

つまり、選択できる立場になっているのであるから、安易な妥協は避けようとするわけだ。安易な妥協を避け、自分より高スペックな男性、つまり、上方婚を求めるようになるというわけだ。この種の議論は、『「婚活」時代』にもよく述べられている。

その一方で、女性と男性の間には、文化的な側面において、同様のシフトが行われないという現実があるのだという。

女性は男性よりも経済力と文化力が比例しやすいと言われる。具体的に言うと、自分や夫や親の所得や学歴が高いと、女性の趣味はクラシックのコンサート、歌舞伎鑑賞、茶道、華道、ピアノ、バレエ、ワインなど正統的なものが増える。男性もそういう傾向はあるが、女性よりはずっと弱い。

女性が社会進出し、年収や学歴などの階層が高い女性が増えれば、女性は自分より階層が低い男性とは趣味が合わなくなるし、階層が同じ男性とすら合わなくなるだろう。女性よりも男性のほうが階層がずっと上でないと趣味が合わないということになりやすい。しかしそういう男性の数は限られている。それが未婚化が止まらない理由のひとつであろう。

これは現代の恋愛結婚市場論における重要な問題である、相互のスペックにおけるギャップである。

女性は自分と相性のいい、端的に言えば、趣味の合う、自分に釣り合うようなスペック(はっきり言えば、身長、学歴、年収だろうが)を持った男性を求める。そして、それは最低でも自分と同じか、それ以上のスペックである必要がある。

上記の引用を以て言えば、女性の階層上昇にともなう文化力の向上は、男性では行われないことから、自然と要求されるスペックを満たす男性の絶対数が限られるという帰結になる。ここまでは、単純であろう。

ここまでの議論を端的に言えば、「スペックの高い女性のハイエンド化(つまり、自身のスペックのハイエンド(上層)化であり、嗜好のハイエンド(高級)化であり、要求のハイエンド化である)は、要求を満たす男性の母集団を制限してしまう」という意味である。

しかし、その一方で、スペックの高い女性のハイエンド化は、往々にして、その女性の商品価値を高めるということには結びつかないということが状況を悪化させていると見られる。

これらの状況をせんじつめて言えば、「デキる女性だからといってモテるわけではない」、より深くえぐって言うと、「デキる女性であればあるほど、男は引いてしまう」という現代事情があるのだ。

また、スペックの高い女性は、そのスペックの向上そのものに膨大なリソースを傾けているという背景がある。それは、スペックを上昇(年収アップ、スキルアップ)させるためには、それなりにすべきことがあるからである。

ここで言うリソースは、お金であり、エネルギーであり、時間である。総じて、時間のファクターは婚活市場においては、極めて重要なインパクトを持っている。

要点は2つ。

1.スペック向上に傾けた時間は、同時に、婚活に要する時間の喪失を意味する
2.時間の経過は、(非情ではあるが)女性の商品価値が劣化していくことを意味する

1.スペック向上に傾けた時間は、同時に、婚活に要する時間の喪失を意味する

結婚するには、時間が必要だ。
それは、少し考えれば、わかるだろう。結婚するまでに、お互いを知るための時間が必要になる。それは、一週間では不十分だとはわかる。

つまり、二人が出会い、付き合い、結婚するという一連のプロセスにおいて、「結婚とそれに伴う準備期間でさえ、時間が必要」なのである。

人生は有限である。何かに時間を費やせば、それ以外のことに同時に時間を費やすことはできなくなる。つまり、人生はトレードオフの連続であるというわけだが、それは婚活においては非常に大きな意味を持つのだ。

短く言えば、仕事を頑張ったり、スキルアップに励めば、それに費やした時間だけ、婚活にかける時間が減ってしまうということなのだ。

2.時間の経過は、(非情ではあるが)女性の商品価値が劣化していくことを意味する

花の命は短い。
大変、非情な表現ではあるし、個人的な意見は別としても、世の男性の価値観は、女性の年齢を重視してしまうと見ることができる。

端的に述べていくと、女性がスペック向上に励み、より高スペックになればなるほど、時間が経ってしまい、自分自身の商品価値が劣化していくことになるのである。悲しいことではあるが、否定できない現実であることは、周りを見渡せばわかる。

これらのことは、つまりは、高スペックな女性が未婚化・晩婚化してしまう要因と言えよう。

ここまで、相互のスペックにおけるギャップについて、女性の側面から見てきたが、男性の側面から見ても面白いことがわかる。

これまで述べてきたように、高スペックな女性は自分の要求を満たすことのできる超高スペックな男性を求めているのであるが、第一に要求を満たす男性の母集団はスペックにより制限され、そもそもの人数が少ないということがある。

加えて、それらの超高スペック男性は、スペックの高さゆえ、非常に多忙である。そのため、通常の出会いがないことが多い。

そして、さらには、超高スペック男性は、そのスペックの高さゆえ、高スペック女性と同様に、要求が高いのだ(笑)。しかも、ここでの男性の要求は、女性にとっては都合の悪いことに、「女性自身が思うスペックの高さではない」のである。端的に言えば、超高スペックの男性が女性自身の思う高スペックの女性、つまりは、「自立した女性」を好むのかというと、そうではないのだ。

超高スペック男性は、すでに高収入を得ているのだから、女性に稼いでもらう必要もない。そのため、専業主婦になってもらいたかったり、おしとやかで自分をサポートしてくれるような女性を求めているのである。加えて言えば、男性目線でのスペックの高さは、年齢の若さであったりする場合も多々あるのである。

このため、「自立した女性、高スペック女性」は、二重の意味での制約を受ける。つまり、1.自分より高スペックな男性は少なく、2.条件を満たす超高スペック男性は自分を選んでくれる可能性が低めである、ということである。

このように、私的な観察から得られた知見を踏まえた上での結論として、現代の恋愛結婚市場には、相互のスペックにおけるギャップが存在するわけである。

『「婚活」時代』では、「婚活(結婚活動)をせよ」と主張されている。

誰しもが理想的な結婚、つまりは理想婚を望んでいることだろう。しかし、現代事情は、妥協婚せざるを得ない状況の人々を生み出してもいる。これこそが、現代恋愛結婚市場の自由市場化のもたらした結果であろう。

現在、経済も、市場主義経済体制の影響で、不況を呈している。
その一方で、結婚市場でも、市場主義の影響があらわれているようである。

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