こんにちは。
当サイト管理人の竹内正浩と申します。
竹内正浩はどんな人間か?
夫婦+3人の娘がいます。
夫婦共働き世帯で、仕事に子育てに大変な毎日です。。。
子育て世代はみなさん一緒だと思いますが・・・
竹内の基本スペック
基本スペック
生まれ:1981年生まれ
学歴:油山幼稚園→堤小→長尾中→福岡中央高→九州大学法学部入学・九州大学経済学部卒。
出身地:福岡県北九州市
現在地:福岡県福岡市城南区(城南区民30年超)
家族:妻と3人の娘
その他:お酒飲まない(飲めないわけではない)。タバコ吸わない。
「趣味ってあるんですか?」とよく聞かれます。
本を出版したことがあります
実はビジネス系の大手出版社の東洋経済新報社から、本を3冊ほど出版したことがあります。
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基本的にはリサーチ本です。
本当に「30代で年収3000万円を実現した人」を探しまして、111人直接会ってきて、調査しました。
簡単に書いてますけれども、2年間?くらいかかったと思います。
時間もすごくかかりましたし、お金も数百万円かかったので、なかなかできない貴重な体験でした。
今なら、もっと効率的にやれたような気がしますけど。
竹内の略歴
略歴
- 大学在学中より、個人事業主。ネット通販や投資関連。
- その後、アメリカの経営コンサルタントのライセンスを獲得。会社設立、代表就任。
- 同業他社にライセンス含めて会社売却。プータローライフ。
- ライター活動開始。「30代で年収3000万円を実現した人」に直接取材。
- 取材をまとめて出版。『30代で年収3000万円を実現した300人に聞いた!稼げる人、稼げない人』出版。
- 妻の仕事を一緒にするため、住宅業界へ。でんホーム株式会社を設立。
- 「初めて注文住宅を建てる人のための家づくりメディアDENHOME」編集長
- 現在に至る・・・
そんなこんなで色々ありまして、現在に至ります。。。
「何があっても、自力で稼ぐ人になる方法論」を研究
僕の個人的な研究は「何があっても、自力で稼ぐ人になる方法論」です。
大事なのは、なぜ、そういう「お金持ち」「お金」の研究をするようになったか、です。
それは「父の死」があります。
小学3年生の、肌寒くなった11月18日。
僕が9歳くらいの頃に、父が亡くなりました。
保険金をかけていれば、借金もチャラでウハウハだったように思いますけれども、実際にはまさか42歳で死ぬとは思ってもおらず、死亡保険金をかけていなかったわけです。
そのため、多額の借金が残ったまま、母子家庭になりまして、金銭面で母に苦労をかけてしまいました。
そのようなこともありまして、「何があっても、自力で稼ぐ人になる方法論」を研究していったわけです。
つまりは、孤児になって、児童養護施設に入ったとしても、それなりの所得を稼ぐことのできる人物になりたかったからです。
それで、多数の人生を取材して、成功法則やら、お金持ちになる方法やらを研究・リサーチしているわけです。
このブログでやりたいこと
浮世絵+シュールなコメントで有名な山田全自動さんが有名になられる前に描いていただいた絵。
せっかくなので、「好きなこと」「ワクワクすること」「楽しいこと」を書いていけばいいという先人の教えの通りにやっていこうと思います。
せっかくなので、人生を記録していこうと思います。
日記、旅行の記録、マイル(陸マイラー)、株、不動産投資、住宅・高級インテリア、書評、取材記事(インタビュー)、お役立ちな発見などなどを書いていきたいですね!
本サイトの存在意義・なぜ、文章を書いているか?
なぜ、自分のノウハウだったり考え方だったり経験だったり学びだったりを文章にしてアウトプットしてまとめるのか?と考えてみました。
そうやって振り返ってみたときに、やはり自分の人生が大きく影響しているのだと気づきました。
僕は9歳の頃に父が他界して、祖父は20歳ぐらいの時に他界しました。
母方の祖父はもうちょっと後だったのですけれども、基本的に誰も物心ついてから、大人に近いような状況で、僕に教えてくれるような存在が特にいなかったということが大きいのかなというふうに思います。
一般的な人というか、恵まれた人はおそらくは父親が存命で、それなりに教えてくれたり、助けてくれたり、社会に対しての接し方だったり、社会でどう生き抜くかなんていうことを教えてくれるのかなーなんて思うんですけれども、僕の場合は全くそれがなかったんです。
結局、人生において経済的にいかに勝ち抜くかというテーマを与えられたとき、勝ち抜く方法は全くの自分の手探りで見つけるしかないということになるわけです。
誰も教えてくれないし、誰も助けてくれない。
もちろん母はいましたし、母は協力的ではあったんですが、社会を生き抜けるほどの知識も経験もノウハウもなかったです。ですから、自分自身で努力していく他なかったわけです。
それで自分自身が父親になった時に、子供が同じような思いをするのは悲しいなという思いもありまして、いろいろな書面だったり、口頭でも伝えてます。
もし、僕が死んだとしても、その時の年齢の知識レベル・経験レベルで読み取れるノウハウや知識が文章としてあれば、そこから学んで自身の人生に活かせると思うのです。
僕が文章を書き残しておくことで、どこかのタイミングで娘たちの人生にとってプラスになるという考えで文章を書いております。
▽初めての方におすすめの記事はこちら。
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